僕は坂道が好きです。
坂道を見ると、上って行きたくなります。
その向こうには何があるのだろうと知りたくなります。
6歳まで横浜に住んでいました。
横浜は坂道だらけの街。
幼い頃の思い出には、坂道がよく登場します。
だから坂道が好きなんだと思います。
3歳まで「栗田谷(くりたや)」という町に、その後、6歳まで「神大寺(かんだいじ)」という町に住んでいました。
栗田谷と神大寺は、横浜駅から北に2キロほど行った丘の上にあり、尾根づたいの道でつながっています。
栗田谷はその丘の一番端にあります。
横浜駅からバスが出ていて、幼い頃、そのバスに乗った記憶があります。
大きなバスが狭い急坂をぐんぐん上り、「栗田谷」のT字路で、道幅を目いっぱい使って左折し、さらに上って行きました。
バスが坂から転がり落ちないか、T字路をちゃんと曲がれるか、ハラハラしました。
先日、新聞を読んでいると、「栗田谷」の文字が目に飛び込んで来ました。
使われなくなった栗田谷の交番跡が喫茶店になったという記事でした。
「確か交番はT字路の角にあったような……いや、無かったかも……」
なんせ60年前の記憶です。
確かめるために栗田谷に行くことにしました。
地下鉄の「三ッ沢下町駅」で降りて、国道1号線をしばらく歩き、左折して丘の入口へ。
大人になった今では大して急でもない坂道を上って行くと「栗田谷」のT字路に着きました。

外には「Coffee KOBAN」の看板。
60年前の記憶は正しかったのです。
中に入ると、1階は、四畳半くらいの狭いスペース。
数人座れるベンチが1脚と、コーヒーを出すカウンター。
カウンターの中には、僕と同年代の店主の男性がいました。
僕はホットコーヒーを注文し、店主の男性に、ここで喫茶店を始めた経緯を尋ねました。
男性はIT関係の仕事をしていたのですが、喫茶店をやりたくて早期退職したとのこと。
お店を探している内にこの交番を見つけたそうです。
その時交番はすでに競売に出された後で、一般の人が購入していました。
男性はその人を探し出して、貸して欲しいと、手紙を書いたのだそうです。
2階は、元宿直室で、畳が敷いてあったそうですが、今はテーブル席になっていて、数組の女性グループがランチを食べていました。
1階に戻り、ベンチに座ってコーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、ちょうどバスが坂道を上がって来ました。
そして、T字路を道幅いっぱい使って曲がって行きました。
大人になった今見ても、結構迫力のある光景。
子供にはさぞ怖かっただろうと思います。
でも、バスはその後60年間、事故もなく、毎日この坂道を上り下りして来たのでしょう。
そして、交番ではお巡りさんがそれを見守っていたのでしょう。
なんてことを考えながら、「Coffee KOBAN」でひと時を過ごしました。
坂道はやっぱりイイ!
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- 2023/06/07(水) 17:21:39|
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先日、野球の試合がありました。
19対3で勝利!
その前は21対0で負けました。
草野球ではこういう一方的な試合になることがよくあるのです。
メンバーが揃わなかったり、ピッチャーの調子が悪かったり、エラーが多かったり。
そもそも戦力に差があり過ぎたり。
勝ち投手は松田。
ウチの2枚看板のひとり。
最後に、「第3の投手見習い」の落合も少しだけ投げました。
僕はファーストで、ヒットを2本打ちました。
勝利の美酒に酔いしれました。

ウチのメンバーの林次樹(つぐき)さん。
東京ドームの巨人戦を見に行った時、隣の席で「長野を出せよ、長野を!」とずっと言ってた人。
かつて、「木山事務所」という演劇集団がありました。
木山潔(きよし)さんという演劇プロデューサーが率い、多くの名作を世に送り出していました。
林さんはそこの看板役者でした。
2013年に木山さんが亡くなり、「木山事務所」は解散。
林さんが木山さんのあとを継ぐ形で、「Pカンパニー」という劇団を立ち上げました。
現在は「Pカンパニー」の看板役者として活躍しながら、社長としてあちこち奔走し、そして、大阪芸術大学の教授として東京~大阪を行ったり来たりしています。
ホントに忙しい人。
そんな人がなぜウチのチームに入ってくれたかというと、大の野球好きだから。
元高校球児。
舞台では怒ったところを見たことありませんが、野球の試合ではよく怒っています(正確に言うと、怒りかけてグッと我慢している)。
野球はうまく、そして俊敏。
僕と同年代なのに、運動能力は僕より20歳は若い。
若い頃、何度か共演したことがありますが、舞台の始まる前は毎日、劇場の周りを走っていました。
そういうことが、後々、効いて来るんだろうなぁ……。
僕はキリギリスでした。
試合後、「どう?軽く一杯」と聞くと、彼はこう言いました。
「今日は駄目なんだよ。息子が結婚することになってさ。これから相手の女性と会うんだ」
「それはおめでとう!」
「ま、一度、会ったことはあるんだけどね。でも、あれだね……緊張するね」
そんな大事な日にも試合に来た、ホントにホントに野球が好きな人です。
- 2023/06/01(木) 11:55:47|
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僕は先日の試合で歴史大敗を喫し、ピッチャーの道を諦めました。
代わりの「第3の投手」を育てなければなりません。
ウチに、落合撤(てつ)という若手がいます。
元サッカー部。
サッカー選手はボールを手で触りませんが、彼はゴールキーパーだったそうで、ゴールキーパーというのは運動神経抜群の者がやるポジションだそうで、なるほど、彼は運動能力バツグンで、あっと言う間に野球に慣れ、今や主力選手です。
彼をピッチャーにすることにしました。
昨日、練習をやりました。
「落合撤(てつ)を鍛える会」
都営グランドを2時間借りて、ごく少人数で。
アンディが先生役。
僕は仕事のため、遅れて行ったのですが、僕がグランドに着いた時には、落合はすでにカーブを習得していました。
恐るべし運動能力!
コントロールはイマイチですが、ボールは速い。
これは使えそう。
練習の後、駅前の「サイゼリア」でビールを飲みました。
アンディが、グランドで撮った落合の投球の動画をコマ送りで見せながら、
「いい?ほら、左足を上げた時に、すでに体が開いてるだろ?腰が入ってないだろ。そうするとな、ほら。バカに見えるんだよ」
「本当だ!バカだ~!」
と、ビールを飲みながら盛り上がりました。

練習後のスナップ。
落合を挟んでアンディと僕。
左端は若手の宮崎貴宣。
落合くん、野球部の将来は君の双肩にかかっているのだ!
だけど、この顔も、バカに見えるぞ……
- 2023/05/25(木) 11:50:22|
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先日の野球の後は呑み過ぎました。
あれから一週間、体がお酒を受け付けませんでした。
今後、気を付けます。
負けた悔しさで飲み過ぎるのはよくありますが、コロナが少し落ち着き、また仲間達と飲めるようになったことが、酒量を増やしているような気がします。
劇団の先輩ともよく飲みに行くようになりました。
飲み仲間は、先輩の金子さんや牛山さん。
会議の後や、仕事の後に「ちょっと寄ってく?」となります。
「ちょっと」にならないのは分かっていながら。
僕達は高級店には行きません。
安そうな店を捜します。
お金が無い訳じゃありません。
高い店は落ち着かないだけ。
安い店の方が性に合っているだけ。
「俺達は安酒呑みだよな」とよく言っています。
「新劇食い」という言葉をご存知でしょうか。
劇団員達で呑みに行き、焼き鳥の盛り合わせを頼んだ時、食べる前に、お箸で焼きとりを串から全部抜いてしまうのです。
皆が色々な種類を少しずつ食べられるように。
これは、昴だけではなく、どこの劇団にも共通した習慣です。
役者はみんな、つましいのです。
僕の「安酒呑み」心をくすぐる場所があります。
横浜の「ぴおシティー」
ビルの名前です。
JR桜木町駅を出て、横浜一の歓楽街「野毛」に向かい、大通りを渡ったところにあります。
正確には、駅と野毛の間を並行して走る2本の大通りの間にあります。
地下3階が地下鉄の桜木町駅。
地下2階が小さな飲み屋が並ぶフロア。
地下1階が不思議な雰囲気のショッピング街(ショッピングという言葉は似合わなさそう)
そして上の階には競馬の場外売り場があるらしいです。

地下2階の飲み屋街。
お店は昼間っから開いていて、オッチャン達が昼間っから呑んでます。
昭和の匂いの残る場所。
それが地下にあるというのが面白い。
僕はこういう所が大好きです。
何度か飲んだことがあります。
でも立ち飲みはしません。
立って飲むのは落ち着きません。
ビールケースでもいいから椅子がないと。
「安酒呑み」ですが、それだけは譲れないのです。
- 2023/05/17(水) 11:36:55|
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前回のブログで、「ひょっとしたら、次の試合でピッチャーをやるかも」と書きました。
その試合が昨日ありました。
昴の野球部には、アンディーと松田という2人のピッチャーがいます。
最近の試合は、いつもこの2人が投げています。
でも昨日は、2人とも仕事のため、欠席でした。
部長兼マネージャーの僕は、そのことを2週間前から知っていました。
「僕が投げることになるかも……」と期待してました。
2週間前からほぼ毎日、ひとりで壁投げをしていました。
コントロールの安定するフォームを試行錯誤しました。
毎晩、ロキソニンのテープを貼り、背中と肩がかぶれました。
でも、おかげで、コントロールがかなり良くなりました。
試合の数日前に、監督からオーダーの発表がありました。
ピッチャーは僕。
満を持しての登板!
試合の前の2日間は雨がたくさん降りました。
試合が雨天中止になれば、僕が投げるチャンスは今度はいつになるか……
僕は天気の回復を祈りました。
祈りが通じ、試合当日は晴天。
グランドは人工芝なので、雨の影響は残らず、試合が出来ることになりました。
僕は早めに家を出て、いつもの公園で最終調整の壁投げをしました。
2日間の雨で壁投げ練習を休んでいたので、身体を十分に休めることが出来、コントロールは抜群でした。
練習の成果。
僕は、ブログに良い報告が書けると、信じて疑いませんでした。
試合開始の1時間前にグランドに到着し、ユニフォームに着換えて、皆が来るのを待ちました。
やって来たメンバー達に、「この前の試合、勝って良かったね!」と言うと、若手が「充さんが出なかったからだって、誰かが言ってましたよ」と笑って言いました。
畜生……見てろ!と僕は秘かに闘志を燃やしました。
試合が始まりました。
コントロールが全然定まりません。
いきなりのフォアボール。
練習と本番は違いました。
まず、公園にはマウンドがない。
平らな地面で投げていたので、山状のマウンドで投げると、体重移動がうまく行かず、体が前に突っ込んでしまいます。
さらに、前日の雨でマウンドが柔らくなっていて、踏み込んだ左足が地面に埋もれてしまいます。
そして一番の違いは、バッターがいること。
壁投げの時とは、見える景色が違います。
さらに、フォアボールを出せば、ランナーが出ます。
チョコチョコと動かれて集中できません。
フォームはさらに乱れ、フォアボールを連発。
ランナーが溜まったところで長打を打たれ……

歴史的大敗。
21点。
皮肉な数字……。
試合の後、新井薬師の居酒屋でメンバー達と飲みました。
3時間飲んで、店を出て、中野に移動して、また飲みました。
2時間の試合の後、7時間飲んでました。
深夜、千鳥足で帰りながら考えました。
もう投手は諦めよう。
僕が投げると、試合を丸ごと投げてしまう。
チームに迷惑がかかる。
これからは、若手を鍛えて、新しいピッチャーを育てよう。
それが部長としての僕の仕事だ。
そう思うと、なんか、スッキリしました。
この1週間。
胃の調子が良くありませんでした。
食欲もあまりありませんでした。
病院に行こうかと思ってました。
今朝はひどい二日酔いでした。
でもお酒が抜けると、食欲が出てきました。
胃も痛くなくなったみたい。
原因はプレッシャーだったのかも。
胃も心もすっきりしました。
悔いはありません!
(とか言いながら、その内、もう一度頑張ってみようかな、なんて思い出すんじゃないか、とも思ってもいるのです)
- 2023/05/11(木) 00:22:21|
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