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宮本充のきまぐれ週報2

ブラミツル「神大寺」

度も書いていることですが、僕は20回以上引っ越しています。
つまり今までに20軒以上の家に住みました。
僕にとっては故郷が沢山ある感じ。
その中の幾つかを訪ねたことがあります。

近畿巡演の時に、堺市の百舌鳥(もず)に行きました。
小学生時代、百舌鳥駅の近くで、祖父母の家と、2軒のアパートに住んでいました。
訪ねてみると、祖父母の家は別の家に建て替えられていました。
アパートのひとつもありませんでした。
もう1軒のアパートは廃屋になっていました。
錆びて今にも崩れ落ちそうな階段を見ながら、
「あそこを上がって、確か2番目の部屋だったな……」
などと考えていると、廃屋の窓に小学生の自分が見えるような気がしました。

百舌鳥の隣の上野芝という街にも、3年間住んでいました。
訪ねてみると、当時の家は、こちらもすでに建て替えられてありませんでした。
家から少し歩いたところに大きな池がありました。
ネッシーでも棲んでいそうな、三日月形の不気味な池でしたが、埋め立てられて綺麗な公園になっていました。
ちょっとガッカリでした。(もう住んでいないくせに)

昔住んでいた街を歩いていると、当時のことがサッと蘇ります。
もう何十年もの間、一度も思い出したことのなかったことが。
匂いであったり、歌であったりもします。
本当に不思議です。
そして、その頃の自分が見えるような気がします。

年、母と車で出かけた時に、横浜の「神大寺(かんだいじ)」という町に寄りました。
幼い頃、その町に住んでいたのです。

横浜はとにかく坂が多いところ。
神大寺は、山で言えば、頂上付近の尾根に沿って広がっている町。
尾根にあたる場所にある細い道は、反対方向から車が来るとちょっと困るくらいの狭い道。
そこをバスも通っています。
この道から細い路地に入って行くと、すぐに下り坂になります。
そして、斜面に家々が張り付くように立っています。
僕が坂が好きなのは、この頃の思い出があるからだと思います。

僕が住んでいた家は、バス通りから細い道を少し入ったところにありました。
その家が今も当時のまま残っています。
「青い三角屋根の家」
僕たち親子は今でもそう呼んでいます。
どなたが住んでいるのかは知りません。
こっちが勝手に行って、懐かしんでいるだけです。

「青い三角屋根の家」に到着し、向かいの空き地に車を停め、僕と母は門の前に立って、かつて住んでいた家を眺めながら、色々と思い出話をしました。
この家は母の自慢の家です。
部屋の間取り、門の石の種類、キッチンの配置、屋根の形や色、全て自分で設計したとのこと。
設計とは言っても、建築士に自分の描いた絵を見せたくらいのことでしょうが。
そして、この思い出深い家に今も住んでくれている人に感謝しました。
でも、もし、その人達が家の中から僕たちを見ていたら、さぞ不審に思ったことでしょう。

車に戻り、助手席に座ると、母がポツリと言いました。
「せやけど、あんなに小さい家やったんやなぁ。アンタは小さかったから、そう思うても仕方ないけど、大人やった私がそう思うのは何でやろう」
それから母は、ちょっと考えて、こう言いました。
「昔の記憶が、知らん間にどんどん膨らんでいったんやろうなぁ……」
当時の母は20代前半。
大阪から出て来て間もない頃。
楽しいこと、辛いこと、色々あったことが、年月を経て、色々な記憶と重なり、上書きされていったのだと思います。
思い出とは、きっとそういうもの。

当時の僕は、幼稚園児ですから、行動範囲はとても狭いものでした。
行動範囲の南の端は、バス通りから細い道を下ったところにあった幼稚園。
その幼稚園は今はもうありません。
西の端は、バス通りの突き当りのT字路。
両側の並木の枝が道の上で重なりトンネルを作っていて、木漏れ日が路面で踊り、とてもきれいでした。
北の端は、家の裏のキャベツ畑。
裏の家々を抜けると畑があって、真ん中に細い道が一本あり、その先が下り坂になっていました。
この、南、西、北、(東は話すとちょっと長くなるので割愛)の外には自力で歩いて出た記憶はありません。
ある意味、この内側だけが僕にとって世界の全てでした。

日、神大寺にまた行ってきました。
今度は自転車で。
鶴見川を制覇して、今の僕は「どこでも自転車で行けるぜ!」の気分。
この日は別の目的地があり(後日書きます)、そこに行ってから、神大寺に立ち寄ったのです。

まず、当時の行動範囲の「西端」に行ってみました。
木漏れ日のきれいだった並木のトンネルはありませんでした。
そもそも並木自体がありませんでした。
僕の記憶違いだったのか、思い出が上書きされていったのか。

青い三角屋根の家に行き、それから「北端」に向かいました。
キャベツ畑があったところは団地になっていました。
14階建ての建物が何棟も立っていました。
とは言っても、その団地も相当古いもの。
もう半世紀以上たっているのですから……。

当時の僕は、泣き虫で、ポーッとしていました。
友達もいなくて、いつもひとりで、あるいは2歳下の妹と遊んでいました。
僕にとって、キャベツ畑の向こうは未知の世界でした。
畑の道に立って、「この畑の向こうには何があるんだろう」と思いながらも、その先には行ったことがありませんでした。
距離的には、西端のT字路や、南端の幼稚園よりもずっと近いのです。
行こうと思えば行けたのですが、行ったことがありませんでした。
怖かったのかも。
ま、5歳児ですから、そんなに深くは考えてなかったのでしょう。
僕は団地を眺めながら、今はもうないキャベツ畑の道に、ひとりぼーっと立って遠くを見ている幼い頃の自分を想像しました。

再び自転車に跨り、「北端」の向こうへ、ペダルを漕ぎだしました。
ユーミンの『水の影』を歌いながら(散歩の時の定番)、団地の脇の坂道を一気に下りました。
住宅街を抜けて、通りに出て、そこを左折し、「新横浜通」を右折して、自宅に戻りました。

5歳の僕が立っていた、あのキャベツ畑のずーっと先に、今、僕は住んでいます。

三ッ沢墓地

神大寺のバス通りから見える「三ッ沢墓地」
斜面にたくさんのお墓。
根岸線「山手駅」の近くの「根岸共同墓地」も斜面に沢山のお墓があります。
さすが横浜。
  1. 2020/05/21(木) 12:01:15|
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囲碁再開

ラミツルでは、あちこち遠出をしました。
ちょっとくたびれました。
ここのところは、ほぼ自宅で過ごしています。
久し振りに碁盤を出しました。

僕はいくつかの碁の同好会(碁会)に入っています。
碁では、強い方が白石を、弱い方が黒石を持ちます。
僕はたいてい黒石です。
さらに対局はほとんどが「置き碁」。
「置き碁」とはハンディ戦のことで、前もって盤上に石をいくつか置かせてもらうのです。
「置き石」の数は棋力の差によって決まります。
置き碁ならば、高段者に勝つこともたまにあります。
でもハンディを貰ってると思うと、心底喜ぶという気持にはちょっとなれません。

碁会のメンバーに「Sさん」と「Tさん」という人がいます。
Sさんは僕よりずっと年長者。
Tさんは僕と同い年。
お二人とも、僕より後から碁を始めました。
僕にとっては「置き碁をしなくても打てる相手」。
そして「対局後のお酒を美味しくしてくれる相手」。
大抵は僕が勝っていたのです。
今までは……。

今年の初めに、Sさんの所属する「S会」に出席しました。
S会は月イチの開催で、僕は仕事のスケジュールがなかなか合わず、約1年振りでした。
そしてSさんと対局することに。
僕はSさんには今まで負けた記憶がありません。
ところがコロリと負けてしまいました。
Sさんの棋力は格段に上がっていました。
対局後に「あそこは、こう打てばよかったんじゃないの?」とアドバイスまでされました。

そして、Tさん。
Tさんの所属する「G会」はお酒を飲みながら碁を打てる嬉しい会。
週イチの開催で、僕は月に数回は出席していたのですが、昨年の秋から、仕事のためしばらく欠席していました。
そして、今年初めの久しぶりのTさんとの対局。
2連敗しました。

僕が碁をさぼっている間に、2人ともとても強くなっていました。
相当勉強していたようです。
その後、「アルジャーノンに花束を」の稽古が始まり、そしてコロナで碁会所が閉鎖され、TさんともSさんとも会っていません。
今度対局したら、僕は黒を持つことになるかも。
それは嫌だ!

という訳で久しぶりに碁の勉強を再開。
でも、2人も勉強してるんだろうな……

碁盤

定石の勉強用に厚紙で作った携帯用碁盤。
100均で買った別のゲームの駒を石代わりに。
なので白黒ではありません。
  1. 2020/05/09(土) 18:45:15|
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ブラミツル「鶴見川 3」

は地図を見るのが好きです。
見知らぬ街を散歩した時や、酔って夜中に歩いた時は、必ず帰ってから地図を開いて、歩いた道を確認します。
別に歩いていなくても、時々、地図を開いて眺めています。

鶴見川のサイクリング後も、走ったルートを地図で確認しました。
その時、ふと思いました。
「上流はどうなってるのだろう?」
鶴見川を遡ってページをめくっていきました。
川を表す青色の幅が次第に細くなり、ついにはポールペンの線ほどになって、その線も消えようとするあたりに、ポツンと小さな点があり、そこに驚くべき表示がありました。

『鶴見川源流の泉』

「来るかい?」と僕を誘っているようでした。
その誘いに乗り、僕は愛車にまたがり再び鶴見川に出かけました。

空は晴れ渡り、最高のサイクリング日和。
「オー!」を景気よく連発。

昔住んでいた鶴川の付近に来ました。
河岸に、神奈川県と東京都の境界を示す標識が立っています。
標識の場所から上流は東京都の管理、下流は神奈川県の管理であることを示しています。
この標識がなんと全部で5カ所もありました。
この辺りは、神奈川県と東京都の境界が非常に入り組んでいて、鶴見川は神奈川県と東京都を行ったり来たりしているのです。
あれ、でも確か一級河川は国の管轄だったはず……ま、いいか。

更に進み、小田急線をくぐると、その先はずっと東京都になりました。
線路をくぐったのは、この一か所だけでした。

次第に川幅が狭くなり、ついには場所によってはピョンと飛び越えられるほどに。
そして、とうとう川沿いの道がなくなりました。
そこから先は「芝溝街道」という鶴見川と並行している道を走り、「図師大橋」の交差点を右折し、「日大三高入口」を過ぎたあたりから勾配がきつくなってきました。
鶴見川はすでに「川」というより「水路」。
何度か見失いそうになり、道を戻ったりしながら源流を目指しました。
民家の数も減って来ました。
地図によると、ゴール地点はまもなく。
川沿いの未舗装の道を上って行くと、林の中に民家がポツンと一軒あり、そこで道は途絶えました。
水の流れは、その先の畑の中まで続いています。
畑の入口には、「私有地につき立ち入り禁止」の看板。
それは見なかったことにして(いつか捕まる)、僕は畑道に入って行きました。
しかし50メートルほど行ったところで、ついに畑道も途切れました。
水の流れは、その先の藪の中へと消えて行きました。

ここが、僕の行ける範囲での「鶴見川の源流」。
でも「泉」ではなかった。

僕は畑の入口まで戻り、辺りに「鶴見川源流の泉」の看板か何かが立ってないか探しました。
お、石碑が!と思ったらお墓でした。

「『源流の泉』は見つけられなかったけど、まあ、行けるところまでは行った」
僕は、鞄から水筒を出し、持って来たホットコーヒーで一休みすることにしました。
風が木々の葉をサワサワと揺らします。
その音が好きです。
見上げると青空の中を白い雲が流れて行きます。
僕は達成感に浸っていました。

と、突然、山の中から若い男性が飛び出して来ました。
見えない所に狭い山道があったのです。
男性はなんとランニング中。
僕は思わず、その人を呼び止めました。(今思えばランニング中なのに失礼な……)
「すみません!この辺りに『鶴見川源流の泉』という所があるはずなんですが、ご存知ありませんか?」
「いやあ、この辺りはちょっと分からないんで……」
と言いながらも男性はポケットからスマホを出して検索し、「あ、この道を下ったところにありますよ」と教えてくれました。
どうやら僕は「源流の泉」に気づかず通り過ぎていたようです。
それにしても、この親切な男性、この辺はよく分からないとのことだけど、なぜこんな山奥をランニングしてるのか……?
僕は不思議に思って尋ねました。
すると男性、曰く、
「この山の向こうは南大沢なんです」
後で地図を見て分かったのですが、山のすぐ向こう側は立派な街だったのです。
大妻女子大などの学校が沢山あり、近くには京王線の南大沢駅があります。
たぶん男性はその街の住人なのでしょう。
鶴見川の源流が意外と街の近くにあることに驚きました。
スマホを手に男性が走り、僕は自転車でその後ろをついて行き、ついに「源流の泉」に辿り着きました。

鶴見川の源流

丸い池の真ん中から、コンコンと地下水が湧き出しています。
看板の説明によれば、その量、一日1300トン。
この水が東京湾の河口まで流れているのです。
でも、ここは僕がさっき辿り着いた場所より、数百メートルは下流。
さっきの方が源流と呼べるのでは。
でも、まあ、そんなことはどうでもいいのです。

この一帯に雨が降り、地面に落ちた雨粒が集まって小さな流れとなり、その流れが集まって、やがて細い川となる。
別の雨粒は地下に浸み込み、地中で小さな流れをつくり、やがて地上に湧き出す。
どちらも始まりは一粒の雨。
それが川の始まり。源流なのです。

ここに辿り着くまでに、鶴見川に流れ込む多くの支流を見てきました。
とても小さい川もありました。
それらの全てが合わさって、鶴見川をつくっているのです。
だから、それらの小さな川の上流にも鶴見川の源流はある、とも言えるのです。

小さな雨粒のひとつひとつが鶴見川をつくっている。
教科書で習った当たり前のことですが、僕は今回、実際に鶴見川の端から端まで走ってみて、あらためてそのことを思い、そして、とても感動しました。

り道。
「源流の泉」の近くの農家の玄関先でタケノコが売られていました。
缶に500円を入れて、特大のタケノコをひとつ、万一のために持って来た携帯用レインコートでくるんで自転車のカゴに入れて帰りました。
自宅であく抜きをし、若竹煮にして食べました。
今日は土佐煮にしました。
タケノコはまだまだ沢山あります。
食べきれない分は冷凍庫に。
しばらくは、大好物の旬の味を楽しめそうです。
鶴見川のことを思い出しながら。

【補足】
源流の泉の「地下水の湧出量は一日1300トン」って言われてもピンとこないので、1秒に換算してみました。
毎秒15リットル。
つまり1秒に牛乳パック15本分でした。
うん、ちょっとピンと来た。

  1. 2020/04/30(木) 22:21:12|
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ブラミツル「鶴見川 2」

バクの標識

鶴見川の河口にあった、バクの標識。

口付近の街を少し散策し、再び鶴見川に戻って帰途に就きました。
まず、サイクリングロード沿いに唯一あった(正確には、サイクリングロードと橋の道が交差する角にあった)、河口付近のパン屋さんで、イチジクとクルミ入りのパンを買い、それを食べてから出発しました。

急に雲行きが怪しくなってきました。
ペダルをこぐスピードを速めました。
しかし、途中から小雨がポツポツ。
真っ黒な雲……
土砂降りの予感。
河岸だから雨宿りの場所はなし。
そして、追い打ちをかけるように強い向かい風。
さらに、ほんの少しだけど当然の上り勾配。
ピンチ!

ひたすら飛ばす。
「おー!」なんて言ってる余裕、なし。
脚がガクガクになってきました。
脚の付け根が痛くなってきました!
バクの標識を通り過ぎました。
『河口から10キロ』
「マラソンランナーはこの4倍を走ってるんだ!それも足で!」と自分に気合を入れました。

13キロを過ぎたあたりで小雨が止みました。
空には晴れ間も見えて来ました。
そして、風もぴたりとやみました。
また快適なサイクリングに戻りました。
「日産スタジアム。おー!」

JR横浜線の小机駅付近を過ぎたあたりで、あることを思い出しました。
鶴川に住んでいた頃、小机駅と隣の鴨居駅との間にあったパン工場に、アルバイトで何回か行ったことがあるのです。
そのパン工場が見えてきました。
しばしサイクリングロードを外れ、工場に寄ることに。
ああ、懐かしい……!

深夜のアルバイトでした。
夜明け前に仕事を終え、日当を貰い、毎回、近くのコンビニでおでんを買いました。
いつもきまって、卵とコンニャクと大根。
それを手に、鶴見川に出て、まだ暗い河岸を歩きながら食べました。
自分の将来とか、色んなことを考えながら。
とてもとても寒い時期で、おでんの美味しかったこと!
あんなに美味しいおでんは、それ以来食べたことがありません。

僕は、当時のコンビニに寄り、おでんを買って、鶴見川で食べることにしました。
「あの時と同じように美味しいだろうか……」

工場の近くのコンビニはまだありました。
でも、おでんがありません。
「おでんは売ってないんですか?」と店員さんに聞きました。
「あ~、今はやってないんですよ」
「コロナで……?」
「いえ、季節的にもうおしまいで」
あ、なるほど。

サイクリングロードに戻り、しばらく走って、ほど良いところで鶴見川に別れを告げ、自宅に戻りました。

クッタクタでした。
缶ビール2本飲んだらバタンキュー。
でも、最高に楽しい河岸のサイクリングでした!

後に豆知識。
「一級河川」の話を。
今回、最初に走った早渕川に「一級河川」の標識がありました。
「それほど川幅も広くないのに一級なんだ」と思いました。
鶴見川にも「一級河川」の標識がありました。
鶴見川が一級河川というのは納得します。
でも、もっと大きい川、例えば紀の川も「一級河川」。
「特級河川」というような標識は見たことありません。
早渕川も一級河川、紀の川も一級河川。
「一級河川」の基準とは?
そこで調べました(ウィキペディアで)。
要約すると、以下の通り。

・川のランクは「一級河川」と「二級河川」しかない。
・例えば、「台風の時に雨水を速やかに海まで流す」など、住民にとって特に大事な川を「一級河川」とする。
・それ以外を「二級河川」とする。
・「一級河川」は国が管理する。
・「二級河川」は都道府県が管理する。
・川の本流と支流をまとめて、ひとつの「水系」と呼ぶ。
・「一級水系」の支流は全て「一級河川」とする。

つまり、「一級」「二級」は、川の大きさではなかったのです。
早渕川は「鶴見川水系」に属するので「一級河川」となるのです。
だから、一級河川の水系であれば、もっと小さい川でも「一級」となるのでしょう。

ちなみに日本には109の一級水系があるそうです。
神奈川県にあるのは、
多摩川水系
鶴見川水系
相模川水系
の三つ。
勉強になりました。
  1. 2020/04/27(月) 00:33:16|
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ブラミツル「鶴見川 1」

住んでいた鶴川の自宅のすぐそばに、小さな川が流れていました。
「鶴見川」
今の自宅の近くにも、鶴見川が流れています。
でも鶴川とはかなり川幅が違います。
途中で支流がいくつも合流して、大きくなっているのでしょう。

時々、鶴見川を自転車で走ります。
河岸の道はサイクリングロードになっています。
そのサイクリングロードには、間隔をおいて、標識が立っています。
動物のバクの絵の下に、「鶴見川河口から○○km」と書かれています。
つまり、この道は河口まで続いているということです。
「行ってみようかな」と以前から思っていました。
地図を開き、サイクリングロードを辿ってページをめくっていくと、終点がありました。
鶴見駅近くの河口。
川に沿ってずっと続いていた道が、そこでプッツリと消えていました。
まるでハサミで切られたように。

僕は、そういうものに、とてもそそられます。
以前、小倉を訪れた時、小倉駅から北九州モノレールに乗り、終点の企救丘駅まで行きました。
理由は、モノレールの終点の線路はどうなっているのかを見たかったから。
企救駅では、モノレールの線路が空中に突き出していて、そこでプッツリと切れていました。
僕にとっては「来た甲斐があった!」という風景でした。
昔、テレビで見た、万里の長城の両端にも興奮しました。
何千キロと続いて来た壁がそこでプッツリ終わっているのです。
片方は砂漠の中。片方は海の中。

「そこから先へは行けない」という状況が好きなのだと思います。
「境界」が好きなのも、同じような理由かもしれません。
だから例えば、路地を歩いて行って、突き当りに家の壁がある、という状況にはそそられません。
なぜなら、別の道で回り込めば、その先にも行けるからです。
「川沿いのサイクリングロードをずーっと走って行くと、突然道が終わり、その先には海が広がっている……」という風景を想像しました。
そして、行ってみることにしました。

宅の近くには「早渕川」という川も流れています。
地図で見ると、途中から鶴見川に流れ込んでいます。
こちらにも川沿いの道があります。
僕は、早渕川からスタートし、鶴見川に入り、目的地まで行って、帰りは鶴見川だけで帰って来ることにしました。

河岸のサイクリングは最高です。
当たり前のことですが、つねに目の前に空が広がっています。
突然車が飛び出して来る心配もありません。
アップダウンもありません。
水の流れに沿って進むのだから当然ですが。
道路を横切る時は、橋の下のスロープを通って、一気にくぐります。
これは爽快です。
(スロープがなくて、橋の上で信号待ちをすることもありますが)

線路も沢山くぐりました。
横浜市営地下鉄・グリーンライン。
横浜市営地下鉄・ブルーライン。
東急東横線。
東海道新幹線。
ちょうど新幹線が上を通り過ぎ、意外と騒音が小さく、宇宙船のような音を残して走り去ったのには驚きました。
JR横須賀線。
JR京浜東北線。
JR東海道本線。
JR武蔵野貨物線!
京急本線。
JR鶴見線。

幹線道路や鉄道を横切るごとに、街の風景が少しずつ変わって行きます。
その変化を、街の中から見るのではなく、外から見るというのが不思議な感覚でした。
サイクリングロードにはほとんど人がいません。
僕は上機嫌で鼻歌を歌い、建物の看板を見ては意味もなく「おー!」を連発していました。
「鶴見体育館……おー!」
「R…A…K…U…S…P…A……あ、スパ!おー!」
川の流れが大きくカーブしても「おー!」。
あとは「お腹空いた!」。
途中でコンビニに入ろうと思っていたのですが、河岸にはコンビニがなかったのです(当たり前!)。

東海道本線をくぐると、町工場が増えて来ました。
街の雰囲気がまた変わりました。
鶴見線をくぐり、少し走ったところが終点。

鶴見川河口


2時間近くかけて走って来た一本の道がここで終わりました。
近くに、「鶴見川・河口から0.0km」の標識。
岸の両側にはまだ陸地(埋立地)が先まで続いているのですが、本来の河口はここなのでしょう。
想像していたものにかなり近い感じ。
目の前の橋がなくて、空が広がっていたら最高なのですが。

楽しいサイクリングでした!
しかし、帰りは……ちょっと大変でした……
続く!
  1. 2020/04/23(木) 12:47:58|
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